自分をFTMとして認識するまでに時間がかかったというお話
大した話でもないです。結局は自分がうだうだぐるぐる考えていただけのお話ですが、一応備忘録として書いておきます。
自分は、自分のことをFTMに限りなく近いとは思っていました。
ただ果たして本当にFTMなのか、と自分に問うと、何だかそれもしっくりこない、と常々思っていました。20歳の頃の話ですが、友人に、あなたはどういう性別でいたいの?とあえて聞かれた時も、自分の性別を自分の口で説明するのにひどく抵抗があり、自分は男性に近いと思うけれど、完全に男性にはなれないし、性別関係なしに自分は自分という感覚で生きている、と答えたような覚えがあります。
FTMに限りなく近いと思うけれど、FTMであることがしっくりこない。その理由は何か、と考えると、
FTM = 「身体は女だけど、心は男」
というフレーズに対する違和感が自分の中では一番なのかなと思います。
体は女だけど、心は男。
心は男。
この言葉に対して、自分はこれだ!とストンと腑に落ちた感覚を得たFTMの方は多いのかもしれませんが、自分の場合は、そのフレーズでは妙に落ち着かず、自分はFTMである、というより、自分は自分という性カテゴライズで自己を保ってきました。
というのも、自分の場合は、感覚的には男性と限りなく近いとは思うものの、本当に自分の心が男性である、という自信と確信がもてなかったからです。おそらく小さい頃から、自分の好きなものを好きというのを抑えて*1、感覚がバカになっちゃった結果なのだと思いますが、あまり自分の感覚値が正しいとは思えず・・・。
私が思うに一般の人々の性のアイデンティティーって、第二次成長期での身体の変化であったり、周囲からの承認によって徐々に自然に育まれていくものだと思っていて。
自分の場合は、その体験が欠如しているので、本当に間違いなく、自分の性が男性である、という実感が持てずにいるのかなと思っています。女性としてのアイデンティティ獲得には確実に失敗したわけだけど、じゃあその代わり男性性のアイデンディティをゲットしているか、と言われると微妙な感じで。
自分の感覚としては、身体は女性、心は限りなく男性に近い、というのがしっくりきます。
FTM = 「身体は女性で、心は男性」っていうフレーズだと、それこそ世の中「女」と「男」の二つしかない感じがして。まぁ自分の捉え方の問題ですけど、そこに違和感があって、自分をFTMと自称することに抵抗があったのかなと思います。
「身体は女だけど、社会的に男性として扱われることを望む人」とかのニュアンスの方が少なくとも自分はしっくりきます。はい。
以上、とある日曜の戯言でした。
ウサギくんの忠告を無視して記事を読み進めた皆さん。後悔はないですか?
*1:幼少期、変形ロボットなど男の子が好むようなこと・物が好きだったのですが、自分の親だけでなく、周りの人から「女の子なのに、そんなもの〜」と言われ続けてたら、小学生の頃からもはや自分の好きなものや好きなことがよく分からず、虚無状態になっていました。ちなみに今はその状態から脱却して、楽しくやっているので、全然問題ないです