FTMの存在を初めて知った時のぼくの反応
こんにちは、さねすけです。
皆さんは、FTMという存在を何で知りましたか?
僕の観測範囲では、テレビのインタビューやドラマでその存在を知ったというケースが多いように感じます。
ドラマだと、僕の世代では「ラストフレンズ」で、もう少し前だと、「金八先生」というところでしょうか。
テレビでその存在を知り、自分の今までのもやもやした感情、悩みが氷解したという描写をよく見かけます。むしろ、そういうエピソード以外、僕は知らないです。
実際にどうなのかはFTMぼっちの僕にとっては預かり知れぬところではありますが、少なくとも、ネットや書籍で転がっているftmエピソードにはテレビがきっかけというものが多いように感じています。
では、僕はというと….?
きっかけはテレビでもないし、FTMという存在を知って救われる想いも全くありませんでした。
ということで、今回はそれについて書いていこうかと思います。
僕の場合
僕がFTMの存在を初めて知ったのは、中学3年生の頃です。
クラスの友達に、「さねすけってFTMってやつなんじゃないのー?」と言われ、FTMが題材の漫画を貸してもらったのがきっかけです。
正直、自分がなぜFTM疑惑を持たれていたのかはちょっとよくわかりません。僕は心が男だなんてことを自ら表明したことは今までの人生で一度もないからです。
けれどもまぁ.....周りの子が聡い子が多かったんでしょうね。あと女子校ということも大いに関係したことでしょう。
女性性があまりにも薄い僕に対して、「何だかさねすけは普通の女性とは違う」と、そういう風に考えてくれたのではないかと思っています。あとわりと普通に「クラスの◯◯、ほんとかわいい、好きだー」とか言っていたのもあるかも。
FTMを知るきっかけとなった漫画
当時、友人に勧められた漫画はこちら。竹内先生の漫画です。↓
竹内 佐千子 著『男になりタイ! 私の彼氏は元オンナ! (コミックエッセイ)』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00BUKPGTY/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
FTM彼氏と竹内先生カップルの日常を描いたエッセイコミックで、タイでの手術についても描かれていました。
僕がFTMの存在を認知したのは、この漫画が初めてのことであったと記憶しています。
ちなみに僕はテレビで扱われるFTM事情はよく分からないです…..今も昔もほとんどテレビを観ない人間なので…..。
漫画を読んだ感想
この漫画を返す時に、友達に言ったセリフは今でも覚えています。
「自分は病気じゃないから、FTMではないよ。」
「自分が女だという感覚はないけど、だからと言って手術したいとまでは思えない。(だってどうやったって本物の男性にはなれないでしょ)」
なんてことを言いました。
ずいぶんと昔の話なもんですけど、覚えてるものは覚えているもんですよねぇ....
当時の僕の中では、FTMという存在は、救いではなく拒絶の対象でした。
「普通」ではない、「異常」な存在。
変にこだわっていたんですよねぇ...
なぜ、拒絶したのか
今思うに、僕は中学生の頃、「普通」というものに憧れていたのですが、その一方でFTMというキーワードは、その「普通」を脅かしうるものに映ったからだと思います。
「FTMなんていうカテゴライズで自分を括らないでくれ」
「自分は自分だから、そっとしてほしい」
そういった気持ちが強かったんだと思います。
僕が「普通」にこだわっていたことについては、遡ると、小学生の頃の記憶が蘇ります。僕にとっては「普通」でいられず、とても窮屈な想いをして過ごしていた小学生時代。自分で言うのはおこがましいですが、友達は多く、勉強もスポーツもできて、周りからは憧れの対象となっていた小学校時代。でも、本人はというと....窮屈で窮屈で仕方がなかった、そんな時代。
好きな男の子の話、親から強要される女の子らしい服装、「女なのに、そんなものを選ぶの?」という周りの反応。
全てが嫌で、自分の気持ちを押し殺して、周りに迎合し、鬱屈とした時を過ごしていました。
しかし、その鬱屈とした気持ちも、幸いなことに小学生までで済みました。
というのも、その後何となくお受験をして入った中学校入学(中高一貫、女子校)を機に、解放されたからです。
中学高校は小学生の頃と違い、とても心地よい、僕にとって自然体でいられる場所でした。初恋の人との出会いや(※今の彼女とは別)、周りの優しい友人達のおかげで、僕にとっては、性差を気にすることなく、「普通」に生きることができました。
仮に、性差の部分で嫌なものがあったとしても、嫌だと言って突っぱねればいい。
避けれらないものについては、頭を無にして、何も考えなければいい。生理もスカートもそう。できるだけ心を無にしていれば傷つかない。
そうやって、僕は自分の女性性をひたすらに見て見ぬ振りをすることで、「普通」の人間として、学生時代を生き延びてきました。周りと違う感性や感覚値も、一つの個性として受け入れてもらえる環境で、嫌なものにはひたすらに目を背けながら…。
今にも割れてしまいそうな、「普通」という名の薄い氷を僕は、必死に守ろうとしていたんだと思います。まぁ....結局17-20歳でばっきばっきに割れてしまったんですけどね、その話はまたいずれ。
ガキの時の認識なので許してほしいのですが、中学生の頃の僕は、
⇒ つまり、「普通」ではない
という、ひどく短絡的な見方をしていました。差別偏見てんこもりです。無知でした。すいません。とんでもなく馬鹿でした。
自分を「普通」だと信じていた無知な僕は、僕自身の「普通で、快適な生活」を守ために、「普通ではない」FTMに対して、拒絶の反応を示したと、そういう話です。
そんなわけで、僕は初めてFTMという言葉に触れた時、あまりいい気はしなかったというのが本音です。僕も僕なりに必死に自分を守った結果だったんですよねぇ。
あとがき
さて、皆さんはFTMの存在を初めて知った時、どのような感想を抱きましたか?
嬉しかったですか?悲しかったですか?自分は1人じゃないと安心しましたか?それとも困惑しましたか?
人それぞれ色んなものを背負って生きていますから、その分色んなエピソードがあるはずです。よければ、みなさんのお話、お聞かせください。
では、随分と長くなってしまいました。
このような拙い文章を最後までお読み下さり、ありがとうございます。
ではでは〜。