悲しみに覆われぬように
悲しみに支配されぬよう、心に隙間を与えないように動く今日この頃。
2022年3月25日金曜日。祖母が亡くなった。
享年91歳。老衰だった。
予定では、その翌日の土曜日に会いに行くはずだった。
田舎から東京へと引っ越してきて、すぐのことだった。
ここなら桜が綺麗に見えるね、と言って借りた部屋で、結局桜を見れないままこの世を去ってしまった。今、地元で綺麗に咲いているサクラを見ると、複雑な想いが心に渦巻く。
僕は大学生の時に祖母にお世話になった。
当時、性別違和で心が干からびていた僕が、東京という自分をよく知っている友人・知人が多くいるこの場所から唯一抜け出せる方法が、祖母のいる田舎に移り住むことだけだった。だから僕は東京を出た。自分のことを誰も知らない場所に行けば、自分の苦しさは幾ばくかは解消できるかもしれないと思ってのことだった。
祖母は、僕がこうしてホルモン療法をしていることは夢にも思っていないだろう。
祖母はあらゆる事に興味を持つ人で、歌を好み、文学を好み、本を出版し(※自費出版)、株やら国債の運用もしていたようで、底が知れない人だった。本当に謎が多かった。(まぁ僕が深く聞かなかったからこそ、謎めいてみえていたところは十二分にあることだと思う...。)
遺体となった祖母と会った時、僕は祖母に触れることができなかった。
死んでしまった人の体温を、自分の素手で受け取り、それを抱えていくことが僕にはとても苦しくて、声かけすらもできなかった。
声に出した瞬間、自分の涙が制御不能になるのは分かっていた。
死というやつは、やはり寂しいものだと思う。
人の死に触れた時に僕ができることは、
僕自身の人生を一生懸命に生きることしかないと思う今日この頃。
一つ一つの問題をクリアして進み、周りの人間も大切にしていきたい。
皆さんも苦しい時はいっぱいあると思うけども、元気にやってこうね。
ではでは。